「承知しました」と答えた人が部下で、「分かった」と答えた人が上司とは限りません。店員は客へ、役職者は社外の取引先へ敬語を使います。親しい先輩と後輩なら、双方がくだけた話し方をすることもあります。

敬語から人間関係を分析するには、発話だけでなく、誰が誰に、どの場面で話したかが必要です。国立国語研究所の日本語日常会話コーパス(CEJC)は、その土台となる自然会話、音声・映像、話者属性、会話場面を対応付けたコーパスです。

作った会話ではなく、日常活動の中で生じた会話を集める

CEJCの目的は、実験室で話題を与えて作る会話ではなく、当事者自身の動機や目的によって日常生活の中で生じる会話を、多様な場面からバランスよく集めることです。CEJCの設計論文では、音声に加えて映像も公開し、発話と身体行動を含む実生活の相互行為を精密に理解できるようにすることも特徴として挙げています。

公式のデータ概要によると、中心となる「個人密着法」では、20代・30代・40代・50代・60歳以上の男女を各4人、計40人の調査協力者として選びました。協力者へ収録機材を2~3か月貸し出し、自宅、職場、飲食店、屋外などで、できるだけ多様な相手との会話を本人に記録してもらっています。研究者は収録に立ち会いません。

協力者一人あたり約15時間を収録し、場面の多様性と録音品質を考慮して約4~5時間を選びました。この方法で2016~2019年に185時間、533会話を収録しています。協力者は単なる参加者ではなく、機材を設定し、ほかの会話参加者へ調査を説明して収録を主導する役割です。会話相手は、家族、友人、同僚、取引先、サービス提供者など、協力者の日常的な関係の中から加わります。

不足した職場会話と若年層の会話を後から補った

自然に任せて集めるだけでは、日常会話の構成をそのまま再現できるとは限りません。CEJCでは約250人を対象とした会話行動調査から、会話の形式、場所、活動、人数のおおよその分布を把握し、収録途中の94時間と比較しました。その結果、仕事場面と若年層が不足していたため、「特定場面法」で仕事中の会議・会合を約10時間、中高生の雑談・打合せなどを約5時間追加しました。

完成したコーパスは200時間、461セッション、577会話です。延べ話者数は1,675人、異なり話者数は862人、短単位で約240万語、発話単位は577,885件あります。577会話のうち、個人密着法が533会話、特定場面法が44会話です。

ここでいうセッションは、協力者が一回の収録で記録したまとまりです。そこから会話としてまとまりのある範囲を切り出し、公開できない箇所などを除いた結果、一つのセッションが複数の会話へ分かれる場合があります。収録前には協力者が機材を設定して参加者へ説明するため、話題が進んだ後から録音が始まることもあり、一回の収録を最大約1時間としたため会話の途中で終わることもあります。

研究者がいなくても、収録機器の影響は残る

研究者が立ち会わず、日常の関係にある協力者自身が長期間収録する方法は、実験者を前にした会話よりも普段の場面へ近づけるための設計です。ただし、観察の影響が消えたことを意味しません。

主な話者は個人用ICレコーダーを首から下げ、会話の中央にもICレコーダーを置きました。室内では360度カメラやGoPro、移動時には肩付近のウェアラブルカメラも使われています。参加者は収録されていることを知り、開始前に説明も受けています。機器が見えること、説明直後であること、協力者が録画開始を判断することは、話題や言葉遣いへ影響し得ます。自然会話データでは「影響がない」と仮定せず、収録法、機器、開始・終了条件を会話情報として残す必要があります。

音声・映像・転記を同じ時刻で対応させる

CEJC全体には、映像、音声、転記テキスト、人手修正した短単位の形態論情報、自動解析した長単位情報があります。公式の転記仕様では、発話単位と、それをポーズや笑いなどで細分した転記単位の二種類を提供しています。どちらにも話者ラベル、開始時刻、終了時刻、発話内容が入り、CSVに加えてELANのEAF、PraatのTextGrid形式でも提供されます。引き延ばし、言いさし、笑い、小声、疑問型上昇調なども転記タグで残されています。

個人密着法の185時間から選んだ20時間、52会話は「コア」とされ、係り受け、談話行為、韻律などが追加されています。談話行為には情報提供、質問、依頼、申し出、感謝、謝罪、修復、順番管理などがありますが、敬語の種類や上下関係を発話ごとに判定したラベルではありません。

CEJCにある関係性情報と、ないラベルを分ける

会話・話者のメタ情報には、会話の形式、場所、活動、主たる話者間の関係性が記録されています。話者については、5歳刻みの年齢、性別、出身地、居住地、職業があり、個人密着法では協力者から見た相手との関係も付いています。仕事関係には上司、同僚、部下、元上司、元同僚、取引先などの区分があります。

さらに公開された話者間関係性・年齢の上下関係アノテーションは、二人会話など、会話構成から発話相手の関係性を一意に特定できる場合を対象にしています。ただし、個々の発話が誰へ向けられたかを示す宛先ラベルはありません。複数人会話へ一時的に店員が加わるような発話も、この関係性データの対象外です。

CEJCで確認できる情報 新たに付与する必要がある情報
会話の場所・形式・活動 発話時点の公的/私的な場面
話者属性、協力者から見た関係 各発話の話し手・聞き手・話題中の人物
一部で特定できる相手との関係・年齢差 組織上の権限、親密さ、内集団/外集団
転記、形態論、談話行為、韻律 丁寧語・尊敬語・謙譲語、呼称とその対象

したがって、CEJCに「敬語を使ったから部下」「くだけたから上司」という正解が付いているわけではありません。既存の関係性情報を条件として、実際の敬語表現を別に抽出・注釈することで、両者の対応を調べられます。

敬語と関係性を五つの層に分ける

日本語の関係性データを新たに作るなら、少なくとも次の情報を独立させます。

  • 敬語:丁寧語・尊敬語・謙譲語の形式、敬意が向く相手、通常形からの切り替え。
  • 呼称:役職名、姓・名、さん・先生、親族呼称、無呼称。話しかける相手と話題中の人物を分ける。
  • 上下関係:上司・部下、先輩・後輩、先生・生徒など、当事者情報で確認した役割の方向。
  • 親密さ:知り合ってからの期間、接触頻度、本人による親しさの段階評価。
  • 内外関係:自社と他社、家族と第三者など、その場で誰を内側・外側として扱っているか。

収録前の質問票で関係、年齢差、役割、親密さを本人から集め、収録後に場面と相手を確認します。発話アノテーションでは、敬語形式だけでなく宛先、呼称の対象、発話行為、切り替え位置を記録します。複数人会話で宛先を決められない場合は推測で一人へ固定せず、不定または複数を選べる仕様にします。

検品では、敬語形式の一致率と、関係性判断の一致率を別に計算します。会話単位で学習・評価データを分割し、同じ話者や同じセッションが双方へ入らないようにすると、話者固有の口癖を覚えて役割を当てるだけの評価を避けられます。敬語は上下関係の答えではなく、場面、宛先、呼称、親密さ、内外関係と組み合わせて読む手掛かりです。

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