「高齢者の音声」を集めるとき、何歳以上を対象にすればよいのでしょうか。60代の参加者を多数集めたデータと、介護施設で暮らす80代・90代を含むデータでは、同じ「高齢者音声」でも対象者の構成が大きく異なります。
総人数が多くても、実際の利用者に近い年代が少なければ、そのデータだけで音声認識システムの性能を判断することはできません。一方、年代以外の条件まで厳しく指定すると、参加者を集めること自体が難しくなります。
今回は、60~98歳の日本語話者100人から読み上げ音声を収録した研究を取り上げます。介護施設と大学という異なる募集経路を組み合わせ、80歳以上の話者を増やした方法から、年代別音声データの参加者設計と収録工程を読み解きます。
本記事は公開論文の内容を紹介するものです。株式会社イングクラウドが当該研究やコーパス構築に関与したことを示すものではありません。
介護施設で使う音声認識に既存コーパスとのずれがあった
Speech Corpus Spoken by Young-old, Old-old and Oldest-old Japaneseは、2016年のLRECで発表された高齢者日本語音声コーパスの構築研究です。介護施設で高齢者と対話するロボットなどへの利用を想定し、高齢者音声の認識精度を改善することを目的としていました。
それ以前にも、高齢者版の日本語読み上げ音声コーパス「S-JNAS」がありました。S-JNASには301人が収録され、男女も男性151人、女性150人とほぼ均等です。しかし、平均年齢は67.6歳で、80歳以上は8人、全体の約3%にとどまっていました。
研究チームが想定していた介護施設の対象年齢は75歳前後です。そこで、既存コーパスの総人数をさらに増やすのではなく、人数が少なかった80歳以上を重点的に収録しました。
60~98歳の100人を5歳刻みで構成した
新しいコーパスには、60歳以上の日本語話者100人が参加しました。平均年齢は77.2歳で、男性22人、女性78人です。年代別の内訳は次のようになっています。
| 年齢 | 男性 | 女性 | 合計 |
|---|---|---|---|
| 60~64歳 | 1人 | 3人 | 4人 |
| 65~69歳 | 3人 | 10人 | 13人 |
| 70~74歳 | 3人 | 22人 | 25人 |
| 75~79歳 | 6人 | 13人 | 19人 |
| 80~84歳 | 4人 | 16人 | 20人 |
| 85~89歳 | 1人 | 10人 | 11人 |
| 90~94歳 | 3人 | 3人 | 6人 |
| 95~99歳 | 1人 | 1人 | 2人 |
| 合計 | 22人 | 78人 | 100人 |
80歳以上は39人で、100人の約4割を占めます。「高齢者」という一つのラベルだけで管理せず、5歳刻みの人数まで確認することで、どの年代が不足しているかを把握できる構成です。
介護施設56人と大学44人を組み合わせた
参加者は、愛知県内の4か所の介護施設と1か所の大学で収録されました。介護施設の参加者は56人で、年齢は66~98歳、平均82歳です。大学で収録した参加者は44人で、年齢は60~78歳、平均約71歳でした。
大学だけで募集していれば、比較的若い高齢者に偏っていた可能性があります。介護施設を収録場所に加えることで、S-JNASでは少なかった80代・90代の音声を確保できました。
一方、介護施設と大学では、年代構成だけでなく、生活環境や健康状態なども異なる可能性があります。したがって、このデータから観察される差をすべて年齢の影響とみなすことはできません。募集経路は参加者を集めるための運営情報であると同時に、分析時に考慮すべき条件でもあります。
参加条件は年齢、読み書き、基本的な理解力に絞った
研究では、60歳以上であることに加え、読み書き能力と収録手順を理解するための基本的な技術理解を参加条件としました。それ以外には厳しい選定条件を設けず、男女比をそろえることや、発音による事前選別も行っていません。
実際の参加者には認知症のある人も含まれています。ただし、論文には認知症の診断名や重症度を参加前の除外条件にしたとは書かれていません。収録後に改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)を実施し、その結果を話者属性として記録しています。
対象者を厳密に限定すれば条件のそろったデータになりますが、介護施設で実際に生活する人々の多様性が失われる可能性もあります。この研究では、発音の明瞭さなどで参加者を先に排除せず、収録後に年齢、性別、認知機能などの情報を付けて扱う方法が採られました。
1人約50文を仮名表記で提示した
2014年5月から2015年2月にかけて、100人から合計5,030文、約9.2時間の読み上げ音声が収録されました。論文の結論部分では開始時期が2014年6月と記載されており、本文との間に1か月の不一致があります。
参加者は、1人につき約50文を読み上げました。文章には、日本語音響モデルの構築に使われてきたJNASと同じATR音素バランス文が採用されています。これは新聞、雑誌、小説、手紙、教科書などから、異なる音素環境ができるだけ均等に現れるよう選ばれた503文です。50文ずつのA~Iセットと、53文のJセットに分かれています。
文章は仮名で印刷して参加者へ渡され、収録手順を説明した後、事前に読み方を練習してもらいました。読み間違いを減らし、同じ文章を既存コーパスと比較できるようにする工程です。
体調に合わせて休憩を入れながら収録した
収録では、高齢の参加者の身体状態に配慮して途中に休憩を設けました。論文には収録時間の上限や休憩の具体的な間隔までは記載されていませんが、全員へ一律に連続収録を求めたわけではありません。
音声は全参加者に共通するAudio-Technica AT9930の卓上マイクとTASCAM DR-05 Version 2で録音されました。16kHz・16bitでデジタル化し、WAV形式で保存しています。JNASやS-JNASでは収録施設によってマイクなどが異なっていましたが、新しいコーパスでは同じ機材を使うことで、機器差を抑えています。
ただし、介護施設と大学という収録場所の違いまではなくなりません。室内の反響や周囲の物音など、場所に由来する差が音声へ含まれる可能性があります。
台本どおりではなく実際に読んだ音声を正解にする
収録音声は文単位に分割され、各文の前後に約300ミリ秒の無音区間が挿入されました。転記は訓練を受けた担当者が音声を聞いて手作業で確認・修正しています。
参加者が台本と異なる音素や単語を発話した場合は、最初に渡した文章をそのまま正解にせず、実際の音声に合わせて転記を変更しました。読み上げ音声であっても、提示文と録音内容が一致するとは限らないためです。
データベースには、年齢、性別、気分の主観評価、認知機能の程度、収録施設、実際の発話に対応した転記、文章セット、文番号が記録されました。参加者本人の気分については、本人ではなく介護施設の職員が収録後に評価しています。
発話速度は若年層中心のデータより遅かった
研究では、音声区間検出によって発話部分の長さを求め、総モーラ数から平均発話速度を計算しました。結果は、成人中心のJNASが毎秒7.66モーラ、S-JNASが毎秒5.44モーラ、新しいコーパスが毎秒4.98モーラでした。
新しいコーパスは平均年齢がS-JNASより約10歳高く、平均発話速度も遅い結果でした。ただし、論文は、この差が年齢分布だけによって生じたとは断定していません。録音に含まれる雑音が音声区間検出へ影響した可能性や、モーラごとの長さをより精密に調べる必要性も挙げています。
さらに、JNAS、S-JNAS、新コーパスでは収録場所や機材も同一ではありません。異なるコーパスの平均値を比べるだけでは、年齢以外の条件を完全には切り離せない点に注意が必要です。
年代別データでは総人数より分布を見る
この研究で重要なのは、高齢者100人という総数だけではありません。既存データに少なかった80歳以上を39人集め、介護施設で想定される利用者に年齢分布を近づけた点です。
一方、男性22人に対して女性78人と性別構成は偏っています。参加者は全員が愛知県在住であり、論文も愛知特有のアクセントが含まれる可能性を限界として挙げています。また、収録内容は音響モデルの学習に適した読み上げ文であり、対話中の質問、言い直し、自由発話を記録したものではありません。
年代による音声の違いを調べるには、まず利用場面に必要な年齢区分を決め、区分ごとの人数、性別、地域、募集経路、収録場所を確認する必要があります。読み上げ音声と会話音声では対象となる現象も異なるため、研究目的を参加条件と発話課題へ落とし込むことが、人数を集める前の重要な工程になります。
RESEARCH DATA SUPPORT
年代構成を指定した日本語音声の参加者募集・収録をご相談いただけます
株式会社イングクラウドでは、年代、性別、地域、居住環境などの条件に基づく参加者募集、読み上げ・質問応答・会話音声の収録、実発話に合わせた書き起こし、話者属性の管理、音声と転記の検品を支援しています。研究対象と利用場面に合わせて、必要な年代区分や発話課題を設計する段階からご相談いただけます。
