方言音声を収録するとき、全員に同じ文章を読んでもらえば、地域による発音やアクセントの違いを比較しやすくなります。しかし、台本にない方言語彙や文法、相づち、言い直しは集まりにくくなります。
一方、地域の暮らしについて自由に話してもらえば、その人が日常的に使う表現を記録できます。ただし、話題や会話相手がそろわないため、地域間の差なのか収録条件の差なのかを判断しにくくなります。
では、方言音声はどちらの方法で集めるべきでしょうか。日本各地の談話を収めた「日本語諸方言コーパス」の設計から、自然談話で残せるものと、比較のために別途設計すべきものを考えます。
本記事は公開資料に基づいてコーパスの制作方法を紹介するものです。株式会社イングクラウドが当該調査やコーパス構築に関与したことを示すものではありません。
約40年前の方言談話を検索できる形に整えた
日本語諸方言コーパス(COJADS)は、国立国語研究所が構築した日本各地の方言談話のコーパスです。新しく参加者を募集して収録したのではなく、文化庁が1977年から1985年に実施した「各地方言収集緊急調査」の録音と書き起こしを再整備しています。
研究成果報告書によると、元資料は全都道府県の約220地点で、各地の教育委員会が収録を担当しました。内容は方言による自然談話、場面を設定した会話、民話の語りなどです。
2019年に公開されたモニター版には、各都道府県1地点、沖縄県のみ2地点の計48地点から、約24時間の自然談話が収録されました。その後データが追加され、2022年3月には約80時間を収めた正式版が公開されています。
COJADSに台本の読み上げ音声は含まれていない
注意したいのは、COJADSが「台本読みと自由会話のどちらが優れているか」を同じ話者で比較したコーパスではないことです。公開資料で確認できる中心的な資料は自然談話であり、共通文章の読み上げ音声は収録形式として示されていません。
したがって、COJADSだけを根拠に「方言収録では自由会話のほうがよい」と結論づけることはできません。台本読みと自由会話は、優劣ではなく、答えられる研究上の問いが異なります。
| 収録形式 | 捉えやすい特徴 | 注意点 |
|---|---|---|
| 共通台本の読み上げ | 同一語の発音、アクセント、母音・子音、発話時間 | 日常会話の語彙や文法が現れにくい |
| 質問に沿った語り | 話題をある程度そろえながら得られる方言表現 | 聞き手や質問方法の影響を受ける |
| 自然談話 | 語彙、文法、相づち、言い直し、話者間のやり取り | 話題や参加者の関係が地域ごとに異なる |
「自由に話してください」だけで収録したわけではない
COJADSの元資料には、収録地点、収録年月日、話者の生年・年齢・性別、談話のジャンルと話題が記録されています。自然談話であっても、何について誰が話したのかを後から確認できるようにしている点が重要です。
国立国語研究所が公開している「日本のふるさとことば集成」を見ると、北海道では「年中行事、昔の生活の様子」、青森県弘前市では「弘前の昔の風物詩」、岩手県遠野市では「ご祝儀のこと」など、地域の経験を語りやすい話題が設定されています。
つまり、ここでいう自然談話は、内容を完全に統制しない一方で、話題すら決めない無条件の自由発話でもありません。参加者が具体的な経験を思い出せる話題を用意し、その話題自体をメタデータとして残しています。
標準語テキストは台本ではなく検索のための逐語訳
COJADSには方言テキストと標準語テキストがあります。この標準語テキストは、参加者が読み上げた原稿ではありません。収録後に作成された方言発話の逐語訳です。
データ作成方針によると、COJADSは音声、TextGrid、方言テキスト、標準語テキストの4種類で構成されています。方言ごとの形態素辞書が十分に整備されていなくても、標準語訳を経由して複数地域の表現を検索できるようにした設計です。
ただし、方言と標準語は常に一対一で対応するわけではありません。標準語の検索語から見つかった方言表現が、目的とする意味や用法に本当に当てはまるかは、音声と前後の文脈を見て確認する必要があります。
音声と転記を約0.2秒のポーズで対応させる
TextGridでは話者ごとに層が設けられ、複数話者の発話が重なった場合も、それぞれの層に分けて記録されます。知覚できる約0.2秒のポーズを目安に境界を置き、その区間を転記単位としています。
CSVには各区間の開始・終了時刻、話者ID、方言テキスト、標準語テキスト、メタ情報、注などが入ります。これにより、検索結果から該当する音声区間へ戻り、実際の発音や会話の流れを確認できます。
転記では、方言特有の音、フィラー、聞き取れない部分、笑いや咳などの非言語音、言い間違い、省略などを区別するための表記やタグが定められています。単に発話を漢字仮名交じり文へ直すのではなく、検索可能性を保ちながら方言の音形を残す作業です。
既存の書き起こしも音声へ戻って修正する
COJADSでは、刊行済み資料や手書き原稿の転記をそのまま取り込んだわけではありません。データ作成方針には、音声と照合して明らかな書き起こしの誤りや短い脱落を修正したことが記されています。
一方、何人の作業者が確認したか、全件を二重に転記したか、作業者間一致率を測定したかといった検品体制は、確認した公開資料には記載されていません。そのため、「複数人による二重チェックを実施した」とまでは言えません。
個人名、屋号、一部の地名や団体名など、話者や関係者へ不利益を及ぼす可能性がある情報は、テキストでは記号へ置き換え、音声では規制音によってマスクされています。歴史的な音声を公開可能な研究データへ変えるには、文字列だけでなく音声側の匿名化も必要です。
新しく方言音声を集めるなら研究目的から形式を決める
地域ごとの発音やアクセントを同じ語で比較したい場合は、共通台本の読み上げが適しています。実際の会話で現れる語彙、文末表現、相づち、言い直しを調べたい場合は、質問に沿った語りや自然会話が必要です。
両方を調べるなら、同じ参加者から「共通語句の読み上げ」「地域生活についてのインタビュー」「地域の知人との会話」を収録し、共通の話者IDで結ぶ方法が考えられます。その際は、出生地だけで方言話者を分類せず、幼少期の居住地、現在の居住地、地域外で暮らした期間、家庭内で使う言語、会話相手との関係も記録する必要があります。
ただし、これらはCOJADSが実施した収録手順そのものではなく、COJADSから読み取れる自然談話の利点と、比較用データに必要な条件を組み合わせた新規収録の設計案です。
自然談話の地域差には話題と話者の違いも含まれる
COJADSの自然談話では、昔の生活や行事を扱う収録が多く、話者の年代や人数、会話相手、話題は地点ごとに異なります。見つかった語彙や文法の頻度差を、そのまま地域差とみなすことはできません。
また、1977年から1985年に収録された音声であるため、現在の若年層が使う方言や現代の録音機器を使った音声認識性能を直接評価するデータとも性質が異なります。COJADSの価値は、収録条件が完全に統一された音声ベンチマークであることではなく、失われつつある各地の談話を、音声・転記・標準語訳・時間情報と結び付けて横断検索できるようにした点にあります。
RESEARCH DATA SUPPORT
方言話者の募集から音声収録・転記設計までご相談いただけます
株式会社イングクラウドでは、地域・居住歴などの条件に基づく参加者募集、台本読み・インタビュー・自然会話の音声収録、話者別の書き起こし、時間情報の付与、メタデータ管理、検品を支援しています。比較したい言語現象に合わせて、研究上の問いを収録形式や参加条件、作業指示へ落とし込む段階からご相談いただけます。
